渋沢栄一生誕の地
2024年7月3日より新紙幣の発行が始まり、20年ぶりに紙幣のデザインが変わります。
新たな紙幣には、一万円札に近代日本経済の父と呼ばれる渋沢栄一、五千円札に日本で最初の女子留学生としてアメリカで学んだ津田梅子、千円札に破傷風の治療法を開発した細菌学者の北里柴三郎の肖像がデザインとなります。
先日、埼玉県深谷市を営業回りしていた際、〝渋沢栄一生誕の地 この先信号右折〟という標識を見つけました。
そうです、新一万円札のデザイン〝渋沢栄一〟は武蔵国榛沢郡血洗島村(現・埼玉県深谷市血洗島)の出身なんです。これは行くしかない!と、営業の合間に渋沢栄一生誕の地、旧渋沢邸「中の家」に寄ってきました。
旧渋沢邸「中の家(なかんち)」 旧渋沢邸「中の家」主屋は、渋沢栄一誕生地に、栄一の妹夫妻が明治28年に上棟した建物です。渋沢栄一が多忙な中で帰郷した際に頻繁に立ち寄り、寝泊まりした場所です。県指定旧跡「渋沢栄一生地」、市指定史跡に指定されています。 引用元:深谷市公式HP
■正門・青淵翁誕生之地碑
左の「青淵翁誕生之地」の石碑の文字は文豪・幸田露伴によるもので、「青淵」は渋沢栄一の雅号です。正門は武家屋敷による見られる薬医門で、扉は欅の一枚板で作られています。
■「主屋」養蚕農家式の家屋
主屋には、大きな屋根の上に養蚕農家特有の「煙出し(けぶだし)」と呼ばれる天窓が付いています。厳密には一度火災で失われており、現存する建物は渋沢栄一の妹夫妻が明治28年に建設したものです。
■副屋
現存する副屋は明治44年の上等で、それ以前は藍玉の取引に使われていて、「お店」と呼ばれていたようです。
■主屋の内部
渋沢一族はこの地の開拓者の1つとされ代々農業を営んでいましたが、養蚕や藍玉作りとその販売、雑貨屋・質屋業も兼ね、大変裕福でした。その為主屋内は立派な座敷が並んでいます。
■土蔵
土蔵は主屋を囲むように4つあり、藍玉の製造や貯蓄場、米蔵、道具蔵等、それぞれ違った用途で役割があったようです。
見学を終え、お昼に隣の「麺屋忠兵衛」で渋沢栄一も好んで食べたという深谷の郷土料理〝煮ぼうとう〟をいただきました。お店の建物は築120年の旧渋沢家大番頭さんの家屋とのことで、歴史を感じる趣のある古民家です。そんな雰囲気漂う古民家で味合う煮ぼうとうはまさにご当地グルメで、平麺に深谷名物の深谷ねぎをはじめ、大根やにんじんなど野菜がたっぷり入っていて、とても美味しかったです。
渋沢栄一も帰郷の際に好んで食した〝煮ぼうとう〟を堪能し、お腹一杯大満足で午後の営業に向かった五幸堂でした。
旧渋沢邸「中の家(なかんち)」
〒366-0006 埼玉県深谷市血洗島247-1
- JR高崎線「深谷駅」よりタクシーで20分
- 関越自動車道「花園IC」より車で約30分
TEL:049-293-4022 FAX:049-293-4023
e-mail:gokodo-kawagoe@g.email.ne.jp